ミッキーはまだ17だーかーらー♪〜『MICKEY17(ミッキー17)』@ヒューマントラストシネマ渋谷
センチメンタルなジャーニーのロバート・パティンソン
な〜にかにさそわれて〜
あ〜なたにさらわれて〜
ロバート・パティンソンが見知らぬ土地でドキドキな恋と冒険の旅を続けるシュールSFコメディ(あながち間違ってない雑なあらすじ!)。
っていいかげんな気持ちで松本伊代のデビュー曲の歌詞見てたら、意外と映画の内容とリンクしてて怖い!(読み捨てられる雑誌のようなミッキー!放り出されてしまうミッキー!)
さて、真面目なあらすじはこちら。
ミッキー(ロバート・パティンソン)は経営してたマカロン屋がビジネスパートナーのティモ(スティーブン・ユァン)のせいで破綻。ヤバい借金取りから逃げるためにコロニー開発の宇宙船に乗りこむ。しかし彼が採用されたのは「エクスペンダブルズ」という、死ぬたびに何度もクローンとして生まれ変わる使い捨て労働者だった。
17体目のミッキーが事故で死んだと思われ18体目がコピーされたが、17も思いがけず生還し、ミッキーが2人になってしまう。
前半はミッキーがエクスペンダブルズになった経緯、宇宙船内の人間模様、17体目になるまで何度もコピーされるさまざまなパターンが映される。
ミッキーはコロニー移住の際に危険となる要素を無くすための存在なので、危険な船外活動、宇宙放射線被害度を測る実験、移住先の惑星の致死性ウイルスのためのワクチン開発などのために何度も過酷な人体実験に晒される。
「死ぬってどんな気分?」と何度も面白おかしく聞かれ、船内でも異端(クイア)な存在だが、恋人ナーシャ(ナオミ・アッキー)のおかげでなんとか耐えている。
贅沢なキャスティング
今作色々ツッコミどころはあるのだが(後述)キャスティングがとてもよい。パティンソンは「顔がよくてモテモテだが酷い目に遭う」役をやらせるとほんとにいいので、前半の冗長さも彼以外なら即駄作認定していた。ほんとになんであんなにsacrifice が似合ってしまうのか。
エリートで心優しく強い女性ナーシャを現代的に軽やかに演じるナオミ、コミカルな研究者ドロシー役のパッシー・フェランは『ファイアーブランド』でも台詞少ないながら印象的な役が記憶に新しい英国演劇界の演技派、独裁者の妻で黒幕ポジのイルファ役はトニ・コレットで存在感はつゆだくにんにくマシマシ、フェミニズム視点を担うカイ役のアナマリア・ヴァルトロメイは『あのこと』主演のフランス映画界新星。と国際色豊か、ジャンルも様々な俳優陣を揃えている。
中でもやはりマーク・ラファロの変態演技(褒めてる)は主演のパティンソンさえ霞むほど。『哀れなるものたち』での役をもっと煮詰めて濃くしたような気持ち悪さ(褒めてる)。ハーレルヤーと恍惚の顔で歌い出した時が至高。こんなラファロが見たかった!
スティーブン・ユァンも結構なクズ男役で、近年の「かわいそうなアジア人役」イメージを払拭。最初は「今回は生き残っててほしいなあ」と思っていたが、だんだん「お前な〜!」とちょいイラッとさせ、「こいつぼちぼちいなくなってもいいかも…」とさえ思わせる。しかしコミカルな憎めない感じを残すのがうまい。
ちょっと気になるツッコミどころ
その贅沢キャスティングで気になったところもあり。
トニ・コレットの顔芸はアリ・アスター監督の『ヘレディタリー』でやったやつを思い出すし、マーク・ラファロのベタついた雰囲気はそこだけヨルゴス・ランティモス監督作品な感じ。
ユァンの役はジョーダン・ピール監督『NOPE』へのアンサーと言えなくもない。
名もなき人々を蘇らせる”えいが米国昔ばなし”~『NOPE/ノープ』IMAX上映版 - je suis dans la vie
ここはまさにノーラン監督作の『TENET』じゃないかというシーンも(両作のネタバレになるので詳細は伏せます)あるし、クレール・ドゥニ監督作の『ハイ・ライフ』を思わせる雰囲気も。
パクっているというのでなくて、あえてそれを想起させようとしてるのかな?と感じた。それは面白いんだけど意図が若干分からず。現代の映画界をともに担う監督たちへのオマージュとかかな?
原作未読なので分からないとこも多いのだが、原作は『ミッキー7』でコピー回数も増やしてたりして、ポン・ジュノ独自解釈がかなりありそう。
ツッコミどころでもあるんだけどいいなと思ったのはナーシャのキャラクター設定。ナーシャはミッキーが大好き(多分面食い)で、彼が何度もコピーされてもいつも同じ愛を捧げる。それはラスト付近のミッキーの回想でほろりエピソードがあり、それも良いのだが。私はミッキー17と18の二体を見た時のナーシャの反応が大好きでして。まさかさあ〜、速攻で◯◯しよ〜ってなるとは。やっすい◯◯みたいじゃん!(ああっ伏せ字ばかりになってしまった!)
でもあれこそがこの作品を「コメディSF」たらしめてる気もする。もしこれがクリストファー・ノーランやドゥニ・ヴィルヌーヴだと重く難しくなるし、アリ・アスターは胸焼けしそう、ヨルゴス・ランティモスはシュールすぎる、ジョーダン・ピールは映像に凝りそう。
通常ならまじめに深掘りするとこを、あえて軽くしている。
ジュノは今回メジャー性、分かりやすさを重視している。それはSF作品やホラーがアカデミーの作品賞で敬遠されがちなのもあるのではないか。エブエブは作品賞取ったが、NOPEがノミネートすらスルーされたのを鑑みるに、多様性やジャンル映画は話題性や注目度に左右されることから、アプローチ方法を変えてみたのかな、と。
チャレンジした部分も見られたのだが、カイのキャラクター設定が分かりにくい部分も。カイが「ミッキーに惹かれる」くだりはその後の展開に必要ではあったが、カイの人物設定から若干ズレる。カイはレズビアン設定の方がわかりやすかったし、「女は子宮なのか」とマーシャルに歯向かうシーンの意味がさらに強くなる。事故で亡くなったジェニファーは同性の恋人だったようだし、最後も新たな女性の恋人がいた。バイセクシュアル設定でももちろん不自然とかではないのだが、ヘテロセクシュアル表現の多いメジャー映画ではどちらであろうときちんと表現してほしかった。
分かりにくいといえば、マーシャルはずっと咳をしてて、なぜなのかの回収はなかった。ラストのミッキーの夢であるといえばあるけど。マーシャルも死を恐れる存在だったので、彼が不治の病とか免疫系の病で感染症ワクチンがきかないとかになるのかとか深読みしてたけど違ったぽい。イルファのソースこだわりとか、小ネタが多いのにほったらかしか。もしかしたら神話や宗教メタファーあるのかもしれないけど。
今回とても楽しい映画でそれなりによかった面もあるのだが、ポン・ジュノらしさがあまりなかった。ポン・ジュノはドメスティックな設定の中でグローバルなものを見せようとする魔術師だと思うのだが、今回そもそも宇宙SFなので最初から広がりがある分、彼の魔法を披露するに至らなかった、というのが私の見解です。
この逆でグローバルな設定からドメスティック(あるいは内的なもの)を見せるのがうまいのがノーランやヴィルヌーブだなと。
ジュノはヌーヴェルヴァーグのSF作品とか好きそうだけど、それはメジャーとしては企画しにくいだろうしなあ。
雪の星のミッキーセブンティーン、眠る樹海を飛び越え
ここからネタバレ、与太話解釈になります。
クリーパーというダイオウグソクムシかダンゴムシみたいな宇宙生物が出てきた時に「王蟲やん」とほとんどの人が思ったであろう。
いや、さすがにまさかあんなにナウシカだと思わなかったわい。
そもそもチラシのミッキーはナウシカみたいなフライトスーツ(宇宙服)とゴーグルですよね!
移住先の惑星が致死性のウイルスに満ちてたっていうのは、腐海の毒。ミッキー17が雪の亀裂に落ちるとこは、腐海の地下イメージ。そこでクリーパーが押し上げて助けてあげるのは、ナウシカラストで王蟲がナウシカを押し上げる名シーンオマージュ。マーシャルの風貌はクロトワに見えなくもないし、イルファの残酷で狡猾な様はクシャナ感もなくはない。
吹雪のシーンは腐海の毒が蔓延してるシーン。クリーパーが子供を探して暴走するシーンはまんまだし。ミッキーがクリーパーと心通わせるのはまさにナウシカ。
巨神兵出てこないけど、ミッキーが廃棄されたりゴミ捨て場になってる焼却炉は巨神兵を作ってるとこにも似てる。深読みするとミッキーが巨神兵オマージュともいえる。巨神兵=エヴァンゲリオン(使徒)なので、クローン体のミッキーと人間の魂を宿すエヴァは同じ構造。また使徒という侵略者としてのミッキー(人間)という見方も。
チラシのたくさんいるミッキーはポニョ感もあり。
そういやミッキーの母親はミッキーのせいで(と17は思い込んでいる)亡くなっており、その罪を背負う設定なのだが、エヴァンゲリオンではシンジは母親を亡くしている。その死はシンジのせいではないが、母の死によって背負うものがある運命は似ている。本作ではキリスト教的贖罪を表現し、エヴァンゲリオンは仏教的な輪廻に近い。
もっと深読みすると、ナウシカが王蟲の暴走で倒れ(死?)、王蟲に癒されて蘇るラスト*1はキリストの復活。エヴァンゲリオンの使徒やアダムなどは仏教の弥勒菩薩の出現による救済*2。本作はキリスト教の感覚が近い。
クリーパーが「大きな声を出すと人間の脳が破壊される」というアレは、巨神兵が口から光線を出すのに似てるし。
自然破壊による地球の破滅や、新たな地を開発することとか、宮崎アニメで散々やってきたことなので、本作の元々のテーマにぴたりとハマりやすい。
で、それがオマージュだとして、なぜしたか?
これは私の勝手な考えなんですが、ユァンが出てることからジュノは『NOPE』見てるはず。とすると、あれが色んな映画のオマージュとエヴァンゲリオンやら日本の漫画オマージュしてるのに気づいてる。そんで、じゃあ自分もやってみたーい!となったのでは。
ちなみにナウシカオマージュは深田晃司監督が『LOVE LIFE』でやっており。
深淵な新年ランランララランランラン♪~『LOVE LIFE』トークショー@横浜シネマ・ジャック&ベティ - je suis dans la vie
自分が好きな作品の外枠やパーツをうまくオマージュするのは、映画ではよくあるので珍しくないのだが、今作は「どこまで観客に意識させようとしたか」が気になっている。
その他類似点のある作品など
日本の漫画なので参考にしてない可能性の方が大だが、萩尾望都の『 A-A´(エー・エーダッシュ)』はクローン体として再生される女性と、その恋人の話で、ミッキーとナーシャの話に重なる。『 A-A´』ではクローンにする時に記憶注入の際に事故があり、恋人と出会う前の記憶しかない。恋人がクローンを受けいれるか否か、というのがポイントで、クローンは果たしてもとの本人と同じと言えるのかというテセウスの船問題。
A-A’ | 萩尾望都 | 【試し読みあり】 – 小学館コミック
またベタに手塚治虫の『火の鳥』にも通じるものが。『火の鳥生命編』はクローン体の話で、人間の欲望のために雑に残酷に扱われるクローン体はミッキーそのもの。火の鳥は「永遠の命」がテーマなので、ミッキーの死生観と重なるところがある。マーシャルが「俺も死ぬのは怖い」って言ったとこはすごく大事で、あそこをラファロに言わせるためにキャスティングしたんだなーと。
『火の鳥宇宙編』では多肉植物みたいな生物がでてくるが、王蟲やクリーパー、エイリアンシリーズなどに重なる。
そういや今作で鳥の着ぐるみ着たキャラクターが出てきてなんでやねんと思ってたけど、まさか火の鳥オマージュ…⁈
火の鳥(生命編)|マンガ|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
火の鳥(宇宙編)|マンガ|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
