je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「隣りの男」感想っていうか、ひとりごとのようなラブレター

で、感想なんだけども。良かったことに対して、人は言葉をなくすね!これはどんな場合もおんなじ。それなのに、想いのたけを伝えたくて、じたばたとしてみたり。一緒に行った友達も同じだったようで、芝居が終わった後も、変な昂揚感が持続して、皆で下北沢の街を離れられなかった。
この日は、どこがどう違った、ということはない。大森さんは芝居に関しては特に真摯な人だ。トークショーなんかでも、あまりハメを外す、ということもない。周りとのバランスをとても気にする。悪く言えば冷めた目で、良く言えば洞察力のある冷静な感覚で、距離感やバランスを常に意識している。それが彼の魅力であり、もしかしたら彼の損な部分かもしれないと思っていた。
2002年のお正月に「殺し屋1」を見て、大森南朋を知って、ファンになって、応援しつづけてきた。人から見たら、理解できない事も多いだろう。何故好きなの?何故応援したいの?と聞かれて、うまく説明できない時の方が多かった。正直、ずっと好きでいられるか、なんて自信がなくなる瞬間だってあった。第一、そんな義務も必要もない。でも、この「隣りの男」の千秋楽、最後のシーンに行くにしたがって、毛穴がぐわーっと開いて、いつのまにか心の中で叫んでいた。「がんばれ、がんばれ!」。
(当たっているかどうか別として)本当に好きな決意した道を行く時、人はがんばっていることを周りに伝えるのが下手になる。だって、自己顕示欲のためにやっているんじゃない。自分が本当に満足するためにやっていることだから。誰よりも自分に対して恥じ入ることがないように注意しなければならない。他人はいつもいいかげんで優しいことを知っている人なら、なおのこと伝えることに対して慎重になる。
大森さんのカーテンコールの「ありがとうございましたっ!」っていう、いつにない張った声は、なんかそういう、伝えきれない気持ちのすべてがこもっているような気がしたんだ。いいの、私の思い込みでも!でも、ライブなんかで、どかーんと来る感じ、あれを芝居で感じることができるなんて思わなかったんだもん。終わった瞬間に、胸がいっぱいになって、実際泣いてしまったんだけど。クールだけど必死な大森南朋なんて、降参するほどかっこいい。ほんと、「必死なのはかっこわるくねえ、むしろその逆」*1なんですよ。もう、この人を好きでよかったわー。マジで思いました。
なんつうか、大森さんはロックな人なんだ。それを忘れてた。ロックっていうのは、音楽のジャンルだけのことじゃなくて、生き方とか、ファッションとか、哲学とか、その人のすべてひっくるめて言うんだと思う。この日の大森南朋は世界で一番ロックしてたよ。下北沢の街の片隅で。そしてそれを私は誇らしく思う。
この3年間、私は大森さんからたくさんのものをもらった。大森さんのおかげで、友達も増えた。自分の事が前より好きになれた、ずっと探していた夢に少しずつ近づく勇気もできた。この日に、たくさんの想いが蘇った。なのに、まだ伝えきれない言葉が多くて参ってしまう。でも、「ありがとう」、それだけは本当に思いつづけたい。

*1:Syrup16g 「リアル」