je suis dans la vie

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藤田嗣治展-Leonard Foujita- @東京国立近代美術館

日本ではなく、遠くはなれたフランスでその才能を開花させたフジタ。日本で名前を知っている人も実は多くはないかもしれない。私も、大学時代に友人に教えてもらうまで、聞いたこともなかった。
カンバスの色をできるだけ生かした、独特のクリーム色の肌。細い線。有名なのは、そういったタッチの人物像だろう。しかし、この展覧会では、日本での学生時代から、日本の下町、沖縄、南米に移り住んでいた時や、戦時中のまったく違う画法のフジタを見られた。
沖縄や南米の、熱い空気が感じられるような重厚な存在感。はっきりとしたラインや、漆黒の肌、弾力のありそうな固い筋肉が隆々と描かれている。それはフランスでの、優美で、なめらかな画法とはまったく違う。戦争を描いたものでは、何重にも塗りこめられた暗い色の絵の具が、その悲惨さをただあるがままの事実として描いてる。
あるがまま。それがフジタの変わらないスタンスだっただろうと思う。画法がすぐに変わるのは、自由な感性、感受性によるものだとは思うが、そこにあるもの、ただ自分が見たまま感じたままに描く。本当にただそれだけのことだ。画家の思いや、歴史が絵にこめられた、私小説ならぬ私画家も多いが、フジタの絵からはただ見たままの美しさや楽しさや、存在そのものを楽しませる。何か別のことをインスパイアされるのではなく、その絵を見ること、それだけが楽しい。そんな展覧会だった。
日本で活躍できなかった理由は、彼のその自由さが認められる土壌がなかった、ともいえるが、もともとが旅人であり、世界そのものが舞台にできる人だったろうと思う。それは、自国で認めてもらえなかった苦悩を生んだかもしれないが、今となっては素晴らしいアーティストを生んだきっかけになった。
そしてフジタといえば猫だが、本当にいろんな絵に猫が描かれる。どれもちょっと柳眉で、今にも跳ね飛びそうなやんちゃな自由な猫。自画像のフジタの着物の胸元から顔を出したり、裸婦画の横で同じくらいセクシーに寝転ぶ。「猫」は何匹もの猫が、互いに飛びかかろうとしている。フジタの目は、そんな瞬間も逃さないほどに猫を見ていたのだろうか。猫好きとしてはたまらない画家です。