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受け止める演技が魅力の藤原季節〜『ドードーが落下する』劇団た組@KAAT神奈川芸術劇場大スタジオ

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【作・演出】加藤拓也

【出演】藤原季節、平原テツ、秋元龍太朗金子岳憲、今井隆文、中山求一郎、安川まり、秋乃ゆに、山脇辰哉

あらすじ(公式より)

「見えなかったら大丈夫と思ってたのに。実は価値が無いものは見えない方が世間はすごく良くなるんですよ。だから僕をそうしてもらったんですね、こいつに 」

イベント制作会社に勤める信也(藤原季節)と芸人の庄田(秋元龍太朗)は芸人仲間である夏目(平原テツ)からの電話に胸騒ぎを覚える。三年前、夏目は信也や友人達に飛び降りると電話をかけ、その後に失踪していた。しかしその二年後、再び信也に夏目から連絡がある。夏目は「とある事情」が原因で警察病院に入院していたそうで、その「とある事情」を説明する。それから信也達と夏目は再び集まるようになったものの、その「とある事情」は夏目と友人達の関係を変えてしまっていた。信也達と夏目との三年間を巡る青春失踪劇。

長い前置き

ここ数年はなるべく「好きな俳優が出てるという理由だけで芝居を見ない」というしばりを自分に課していて。もちろん例外はあり(O森さんとか、K村さんとか、M宅さんとか)。そういったキャリア面で安定感もあり、出演作の選び方も安心して見られる俳優さんも多いのだが、それでもたまに自分の中に「今回は違うな」というモヤモヤがが残ることがたまにありまして。おそらくは「この人を見たいから行く」という理由だけだと、結果作品に対しての理解や思い入れが少なくなってしまう。そうするとどんなに作品が良くても、観劇自体が惰性的で薄い体験になってしまうことがあった。

もちろん、好きな俳優さんが出てることによって広がる世界も多いし、好きな俳優を見ること(=会うこと)というのは稀有で素晴らしい体験で、それを否定してるわけではありません。念のため。

単にもうカッコいい!素敵!とかの感情が自分の中で重点を置かなくなってしまってきていて、個人的な問題です。

しかし、それでも気になる俳優さんというのはやはり出てくる。

それが藤原季節だったわけです(前置き長い)。

感想(雑感)

舞台の藤原季節が見たい、という理由だけで見に行ったわけですが。

配信舞台や映画で見るとき、藤原季節は主演であっても中心に陣取るというより、相手役の「演技を受けて反応する」という演技の反射神経がめちゃくちゃ良い。それは舞台でも同じで、基本今回は藤原季節だけを見てようとしたのに、周りの演技も引き立てる。構成が群像劇であるというのもあるけど「埋もれないで出すぎない」というのは、おそらく彼が映像も舞台もテレビもそれほど区別をつけず、どんどん活動している幅広さによるのかもしれない。

誰とは言わないが(というか誰だかすら忘れたのだけど)、とある芝居で若い俳優さんが完全に自分のファンを意識して舞台から目線を送ってた時があって、鼻白んだ時があり。そういう目的のエンタメなら別に気にしないのだが、現実に戻されてきつかった。藤原季節にはそれがない。もちろん、彼の人気からすればそれをする必要のある時や場所もあるのだろうな、とは思うが、この舞台ではそれをしていない。劇団と演出家の意図を汲み、丁寧に表現していた。

もう一人の主演、夏目役の平原テツとのコンビネーションもよく、お互いの押し引きが絶妙で、二人のグッとおさえた緊張感ある演技で、最後まで二人の関係に注目できた。

終始オフビートな台詞で、淡々としているのだが、リズムがよく、加藤拓也の脚本力が生きている。演劇の台詞ではあるけれど、生きているナマの言葉感覚がある。ラジオドラマにしてもいい感じの会話劇である。

ただ、この作品だけの傾向かもしれないが、若い男性の文化系ホモソーシャルな空気が強くて痛々しく、そこはあまり相容れなかった。藤原季節と平原テツのおさえた演技がそこは緩和してくれてはいたので、あくまで演出なのかもしれない。

(ここからネタバレ)

夏目の「とある事情」というのが、実は若いころから夏目は統合失調症で、薬によって通常の生活を維持していた。しかし定期的に通院しなかったり、薬を飲まなかったり、家庭や仕事でうまくいかないストレスがあったりしたことが重なり、症状を悪化させる。

悲しいのは、「普通の状態」の時の夏目はとてもいい人で、友達にも好かれ信頼されている。優しいが、自信がなく自己評価が低いのも、その病が所以のようだが、信也にしても他の人にしても、そういった夏目のことを本当に好きなのが分かる。しかしそれすらも夏目は「侮っている」「下に見ている」と否定する。否定された側は傷つく。

夏目の病が分かってからも、周りは理解しよう寄り添おうとするが、それも症状の中にいる夏目にはもう届かない。最後に信也が胸に詰まった思いがあふれそうになった瞬間の、演技を超えたような藤原季節の涙には思わず引き込まれた。

それは「受け止める」演技の魅力の藤原季節が「受け止めてさせてもらえない」瞬間を演じた、なんともはがゆいが、それもまた真骨頂であった。

内容に関しては、精神的な病を扱ったテーマで、単なる人間関係のすれ違いや不和というのとも違って難しい。正直、信也が夏目にそこまで何かしてやる必要はあるのか。家族すらも対応が難しい問題を、他人ができることの限界を見せられて、ちょっとモヤモヤする芝居ではあった。病の当事者が見たらきつい表現だが、周りの人の心情をかなり明晰に表現していてそこはよかった。

美術について

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美術セットのミニチュア。とてもシンプルで、誰もいないと雑然としてるのに、人が動き出すと景色になる。真ん中のビル群のセットはそこだけ縮尺で、人が歩くと特撮映画の怪獣みたいになる。写真のビルの中に佇む人形は夏目か。夏目が疾走して失踪する場面を、その小さくなったビル群の間を走らせることで表現していた。こうしてミニチュアで見ると、まるで夏目の頭の中の世界を見ているようにも。

この感覚、何か似ている、と思ってしばらく気になってたが、ゆうめいの美術も担っている山本貴愛さんであった。『姿』の動くセットにかなり近いが、セットそのものが意識があるいきもののような感覚は『娘』に近い。セットが上下するのは『あかあか』にあり。既成のものを俳優に絡ませてて面白い。

 

藤原季節&平原テツインタビュー

劇団た組『ドードーが落下する』藤原季節&平原テツインタビュー | ローチケ演劇宣言!