je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

どうでもイイ感じが気持ちイイ〜『物語なき、この世界。」Bunkamuraシアターコクーン

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演劇という物語ありきのエンタメにおいて「物語なき」というフレーズをあえてタイトルに持ってくる不敵さへのシンプルな興味と、キャストに惹かれて。

三浦大輔作品は映像は『愛の渦』を見た。キャストの確かさと、俗っぽいエロスのえげつなさとプリミティブの境目にあるような脚本と演出が魅力的だった。先日は深夜ドラマで短編を2作見たが、ドライな脚本と圧倒的に湿度の濃い映像は他の演出家の作品よりも目立っていた。舞台は『母を欲す』以来2回目。

新宿歌舞伎町の風俗エリアを放浪する青年2人(岡田将生峯田和伸)。実は高校の同級生の2人が気まずいシチュエーションで再会するところから「物語」が始まる。

この歌舞伎町のセットがかなりリアルで、奥に東宝の映画館、手前はゴジラロードの標識、二階建ての建物がいくつかくるくると動きながら外観や中を見せて場面転換する。プロジェクションマッピングも使い立体的に見せるが、ネオンなどは作り込んでいる。おっパブやヘルスなどの風俗店の様子もリアルに再現して、ここまでやるかと感心してしまった。風俗店の客となる岡田くんの熱演が見もの(峯田くんは堂に入りすぎた感が)。

今井(峯田)はミュージシャンの卵、菅原(岡田)は売れない役者。大して仲良くもない2人が出会い居酒屋で嘘かほんとか分からない自分語りをする。そこで突然絡む酔っ払いの男(星田英利)を突き飛ばしてしまい、殺してしまった!と逃げるところで1幕終了。

菅原の「自分たちはこの芝居の登場人物」と示唆しているモノローグから、メタフィクション風味を出して、果たしてこの芝居はどこへ向かうのか。と不思議な感覚でふわふわモヤモヤした感じで休憩していた。

しかし2幕が始まると、今井たちが迷い込んだスナックのママ(寺島しのぶ)が出てきたら彼女の独壇場。ちょっと前の菅原の芝居がかったモノローグもどこへやらである。

実は男は死んでおらず、元妻のスナックのママの店で散々クダを巻き、菅田将暉の「まちがいさがし」をカラオケで歌い去っていく。それはいつものことであり、スナックのママは「みんな自分の話がしたいだけ。それを聞くのが私の仕事だけどうんざり」とめった斬り。今井も菅原も、今井の後輩(柄本時生)、菅原の彼女(内田理央)もその瞬間はモブである。

「物語ハラスメント」というフレーズで、観客さえもめった斬りにする。だれも彼も、自分で勝手に自分の物語を作って、大して面白くもないのに人に聞かせ悦に入る。Twitterしかり、Facebookしかり。先日SNSで「おじさん構文」が話題になったが、これもその一種であろう。

このままダラダラと今井と菅原のうだつの上がらない話が続くのかな、と思いきや、きちんと物語は動く。男はなぜかビルから飛び降りて命を絶ってしまう。クライマックスが圧巻で、またもや寺島しのぶの独壇場である。男が自殺した理由は分からないが、彼女の作った「元夫の物語」の一人語りが始まる。彼女が疎んじてた物語ハラスメントになるかならないか、ギリギリのラインのセリフ。寺島しのぶの咆哮のような独白がすべてを包括してしまう。かといって彼女が主演ではなく、トリックスターのようなあざとさもなく、あくまで出演者の1人であるというポジショニングを崩さないのも含めてさすがであった。

という意味では星田英利の存在感も忘れられない。唯一彼の動きが一本の筋立てなのだが、脇役でしかない。星田さんはドラマでは目立ちすぎてあまりいい印象はなかったのだが、舞台の方が良いかも。動きが明確で、発声もよく、アクセントの付け方がうまい。

人が一人死んだ以外はいつもと変わりない夜。菅原はしんみり今井と別れて終わりかと思いきや「ソープ行かね?」と人間の飽くなき欲情を見せて閉幕。

とにかく物語などない、どうでもいいことの積み重ねが人生である。突きつけるでもなく、諭すでもなく、開き直ってドヤるわけでもなく。けれど涙も欲望も愛も恋もまあまああったりなかったり。びっくりするくらい何もなさが心地よい芝居であった。

今年に入ってから少しずつ、劇場も感染対策をしながら、工夫しながら公演を行なっている。今作も途中で緊急事態宣言になったためチケット売り止めになり、人気俳優の演目であるのに空席が目立った。しかも私が行った次の日には、関係者に感染者が出て千秋楽を前に数日の公演中止を余儀なくされた。

そんなご時世のせいか、どの芝居も演目が生きろとか、生きるの死ぬの希望だの、たまに社会批判の、普段より重めなテーマが来ることが多くて実は辟易していた(私の選び方のせいもあるけども)。まあ仕方ない。でもわざわざ「生きろ」って言われたって分かってるわい!ってなるくらい自分も周りも疲弊していた。いわゆる癒し的なものもいつもなら気にならない程度のあざとさに気づいてしまったり。劇場に来て励まされたくないし、現実を見たくないからフィクションを見に来てるけど、やっぱり現実は無視できないくらい今回は大きく重い。現実を無視して楽しむ力がない、かといって正面から向き合うにはつらいのである。

そんな中でこの作品を見た後にスッキリ!したのである。だよね、大体どうでもいいことばかりだよね。人生とか命とか毎日考えてたら疲れちまうさあそらね、と。どうでもいいことが何が悪いのさ、と。

それでも物語を探してしまう時はあり、それに救われる時もある。その矛盾も否定しないどうでもいい感じの優しさ(とどうでもいい感じのエロス)に感服しました。

 

ところで、三浦作品見ると、今まで知らなかった風俗的情報を得ることがとても多いのですが、今回もまたどうでもいい知識を得ました。峯田くんと柄本くんがラーメン屋でどうでもいい話をしてるシーンで、某グラビアアイドルがバッグに入れてた大人のおもちゃの使い方について知りました。ほんとどうでもいいいいいいい!パパ活の仕組みも知りました。あんな感じなんだ、ふーん。

あと、人間関係において特に物語らしき物語が希薄な芝居ですが、唯一これは濃いなあ物語だなあと思ったのは、風俗店の店長(宮崎吐夢)と風俗嬢(日高ボブ美)が実は夫婦というくだり。『愛の渦』でも秘密クラブの店長と常連の女が夫婦設定で、あれって三浦さんの何らかの趣味なのかなって邪推。ああこれもほんとどうでもいい(でも楽しい)。